包容力VS多様性

『ABEMA Prime』最近良く見てる。
『露出症』の回が面白かった。でなんとなく思ったこと。

露出症含め精神疾患とかLGBT、人種だとかの少数派、多様性が保護されがちな最近の流行りがあるなぁと。
で、そういうものに対して包容力を求められている気がする。

自分は「少数派=弱い者」を助ける、許容する、のが正義だとする倫理観は持っている。
小学校教育とかアンパンマンの影響で、強い者が弱い者を助ける、のが格好良い。倫理的にも良いことだと思っている。
今でも、勧善懲悪のなろう系とか好きで良く読んでる。

で、現実世界の話。
障害者だとか老人とかを「助ける」。まぁ助けるまで積極的ではないにしても、そういう人に迷惑かけられても「許容する」。みたいなことがある。
今までそれを迷惑は迷惑だけど、ちょっとイイコトした。許容できる自分偉い。くらいの認識を持っていたけど、なんとなく最近それが変わりつつある。「偉い」より「迷惑」に思う気持ちが大きくなってきてる。

原因は自分の中の「弱い者」の該当範囲が広がってて、なんかもう全部じゃんみたいな気分になるからかなと。「弱い者」が優遇されててズルい。みたいな。
今まで自分にとっての「弱い者」といえば「腰の曲がった老人」とか「足がなくて車椅子の障害者」とか明らかな弱い人だけだったけど、「露出症」とかの精神障害者を自分の認識の「弱い人」の範囲に含めるのか迷う。

他にも『発達障害グレー』の回もあったけど、かつては「仕事のできない人」、「空気の読めない人」、だったのが世間的に障害者の枠になってきてるのを感じる。
使えない人間は殺せばいいという『優生思想』は行き過ぎだけど、なんでも許容しなければいけない『多様性優先思想』もなんだかなぁと思う。

『失笑恐怖症』も広く言えば精神疾患の話。

精神的に弱い人、障害を抱えている人が、社会に認識されてきてて、それが「社会的な弱者」にはなりつつあるのかなと思う。

自分は心身がある程度健康(比較的には強者の立場)なので、そういう傾向が損に感じることが多いけど、恩恵も受けている場面もある。
一番の恩恵は「一般労働者(弱者)」なので「使用者(強者)」からのパワハラとかサビ残とかから守られる傾向はありがたい。

強いから便利に利用される。そんな勇者のなろう系あったなぁ。

逸れたけど、「弱者」の自分を線引を考えたい。
うーん。まぁ結局、理由と結果のバランスだよな。
「精神障害者が人を殺したら許すか?」といえば許さないし、
「老人がレジでモタモタしてたら許すか?」といえば許す。

他は……
「露出症」→関わらない
「失笑恐怖症」→関わらない
「発達障害の同僚」→許容せざるを得ない
「精神障害者が電車で騒いでいたら」→関わらない
「小汚いホームレス」→関わらない

自分の理想は「強くて、全てを許容できるでっけぇ心持ちの人間」でありたいと思っているけど、そうもいかない。
結局アンパンマンにはなれないのだという事実を再確認させられる。
というか自分の対処がほぼほぼ関わらないなの笑える。

なんだろうな。まぁ自分の理想は理想だけど、
現実、他人を助けれるほど強くはないし、
損得で考えるのが一番しっくりくるんだよなぁ

ということを加味すると、
「多様性を重んじる包容力のある人間を装いつつ、自分の弱い部分をさらけ出して、弱者には頼られないように、強者には寄生する。」
そんな人間に私はなりたい。

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